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2001年から始まったレザルテの開発物語は多くのチャレンジを紹介してきました・・・ 今回はその後の印象に残るエピソードをご紹介します。
2011年3月11日 東日本大震災が発生 この日、レザルテ本社のある秋田市も未曾有の揺れに見舞われた。 秋田市以上に大きな被害に遭われた皆様に今も心からお見舞い申し上げます。
以下は3.11の大震災にまつわるレザルテの復活劇エピソードです。
過去の開発物語ですでにご存知の方がいらっしゃると思いますが、レザルテは代表の山本が世界一のカットツールを作るという目標をもったことから生まれました。 1987年から始まった開発が完成したのは2001年、量産できる様になったのは秋田県・岩手県・青森県のモノづくりに挑戦する元気な企業と職人の皆さんが力を合わせてくれたおかげでした。 岩手県の水沢市で一時加工を引き受けてくれた宝生機工という工場は、頑固な職人気質の社長さんが難しいチタン合金の加工を引き受けてくれていました。 超硬質なMIMのチタン素材の加工はとても難しく、多くの工場から断られた末にようやく見つかった貴重な加工工場でした。 社長さんはその道のプロが一目置く職人で、後で知った事ですが、レザルテの素材を削る為の特殊なドリルの刃さえも自作したそうです。 なぜこのような難しい素材を選んだのかは過去の物語でも取り上げていますが、比重・対金属アレルギー等、レザルテにはこれ以上の素材がない事を納得した上で、それを実現する最高の職人を見つけた経緯でした。 しかし、未曾有の震災はレザルテの大切な工場にも容赦無く襲いかかったのでした。 大型の精密加工機械が収まっていた町工場は地震の影響で多くの機材を失いました。 当然、工場が復興するまでレザルテの出荷は停止です。 そして待つこと3年、この間に米国のパートナーとなったHAIRART社のJackieさんから米国の若い技術者のために廉価版を作りたい旨のオファーがありました。 チタン製のレザルテは簡単には作れない事がわかっていたので、米国の技術者の求めに応じて廉価版の販売をお願いしました。 並べて比較すれば明らかに違うものですが、それでも他のレザーに比べれば上質のカットツールです。 そんなある日、宝生機工の及川社長から会いたいとの電話が入る・・・ 社長曰く、工場の復活に向けて精密加工機械を入れ替えるべく挑戦していたが、年齢のこともあって新たな投資をするのを見送った。レザルテの加工工場は自分が探して技術ノウハウも伝えるという相談であった。 レザルテはこれまで一緒に苦労してくれた工場と一流の職人技を頼りにしていたのだが、この申し出を受けることにしました。新しく紹介してもらったのは同じく腕の良い社長のいる瀬谷工作所で、しかもここは秋田市の工場でした。 特殊なチタン合金のMIM素材もこの間に少ロットの生産が出来なくなっていましたが、これも秋田県工業技術センターからの紹介で、広島県にあるCASTEMという金属素材メーカーが引き受けてくれることになりました。 ちなみにこの工場は金属加工に関しては国内のトップ企業で、東京オリンピックの聖火リレーのトーチを作っていて、レザルテとオリンピックがこんなところで結ばれているのは嬉しいエピソードです。
そんなわけで震災後の復活編をお届けしました。 廉価版は米国HAIRART社から誰でも直接購入が可能ですが、もし日本国内で必要な場合は、当社で輸入した在庫も用意してあります。 廉価版のSTNと最高級版のPRO、どちらも【RAZARTE】 使い方は一緒です。 日米の美容学校では教材として採用されている学校もあり、学生の皆さんには最初から高度な、そして安全なレザルテカットの技術を習得していただくことを特におすすめしています。 指導者・教師の養成は、各地のEducation Teamのメンバーが腕を磨いています。
復活版 PRO 完成
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